質乃蔵(しちのくら)の児玉です。
質屋って、なんか「昭和ぽくて、古そう~」っなイメージがあると思います。NHKのドラマ「ゲゲゲの女房」とかでも古めかしい感じで描かれていますからね~笑
そんな古いイメージの質屋なんですが、すごく昔から存在しています。どのぐらい前から?実は、江戸時代前から質屋はあるのです。
今回は、質屋の仕組みなど歴史を紐解いて解説していきましょう。
目次
質屋が日本の歴史にはじめて登場したのは、貨幣経済が導入された鎌倉時代のことです。
公家が朝廷で政権を握る平安時代。朝廷では絹やお米がお金として使われていました。庶民の間にはお金の役割を果たすものはなく、物々交換で生活必需品を手に入れていたといいます。
しかし、1185年に源頼朝が鎌倉に幕府を開き、政権は公家から武家へと移ります。武家社会となることで、平清盛が日宋貿易で大量に輸入した宋銭をお金として使うことを認められ、税金の支払いにも宋銭は使われようになりました。
こうした背景から宋銭の流通が進み、質屋の原型となる仕組みが誕生します。
当時の質屋は「土倉(戸倉)」と呼ばれており、土壁の倉庫に品物を預かる高利貸しであったといわれています。造り酒屋が副業で土倉を営むケースが多く、全国各地にあったと文献(藤原定家「明月記」)に記録されています。
室町時代に入ると、土倉は高利貸しから品物(質草)を担保にお金を貸す質屋へと変化します。
気軽にお金を借りられる「庶民の金融機関」として、人々の暮らしの中に土倉は根付いていったといわれています。
土倉が「質屋」と呼ばれるようになったのは、江戸時代に入ってからです。
3代将軍徳川家光の時代に現在の質屋の基本形とされる仕組みが完成します。
当時の庶民は衣類や家具などの生活必需品を質草にして、質屋からお金を借りていたといわれています。担保なしの高利貸しと並び、質屋は庶民にとって身近な金融機関として親しまれていました。
江戸や大阪をはじめとする全国各地の城下町の発展に伴い質屋の件数は増え、都市部の庶民の生活費を調達するのに欠かせない存在となったのです。
江戸のバブルと呼ばれる5代将軍徳川綱吉が治めた元禄年間(1688~1704年)に質屋は急増。
しかし、元禄年間のバブルはそう長く続きません。元禄大地震(1703年)や富士山噴火(1707年)などの大災害が立て続けに発生したことで、幕府の財政は傾き景気が悪化します。
8代将軍徳川吉宗は景気回復ため、今のデフレ政策にあたる「享保の改革」(1716~45年)を推進。不景気やデフレ政策の影響で、吉宗の時代にはますます質屋の数が増えたといわれています。
幕末の大阪には2000件以上も質屋があり、明治時代に入っても江戸時代の質屋の営業形態はそのまま受け継がれていきました。
明治時代の質屋は、お金を貸すだけでなく、古物商とともに遺失物や盗難品の捜査拠点を兼ねるようになります。この流れは現在の質屋にも継承され、今でも警察の遺失物や盗難品の捜査協力を行っています。
時は移り変わり1945年8月に第二次世界大戦が終結します。戦後の混乱期で物資が不足する中、国民は貧しい生活を強いられました。
当時の庶民がお金を借りられる場所は質屋ぐらいしかなく、人々の暮らしを支えるのに重要な役割を果たしました。
当時質屋は全国に2万件以上もあり、現在営業中の質屋の多くは戦後に創業したといわれています。
このような社会背景を受けて1950年に質屋営業法が制定されます。
1960年代まで質屋は庶民が不足する生活費を補うのに不可欠な金融機関であり、当時の庶民は着物や背広などを質草にしてお金を借りていました。
しかし、1970年代に団地金融(現在の消費者金融)やリサイクルショップが誕生したことで、徐々に質屋は衰退。
終戦直後は全国に約2万件もあった質屋は、2018年には2793件と大幅に減少しています。
近年減少傾向にあった質屋が、コロナ禍をきっかけに再び注目を集めています。
その理由は、他の金融機関と比べて「お金が欲しい」と思ったときにすぐにお金を借りられるからです。
ここからは、すぐにお金を調達できる質屋特有の仕組みを掘り下げていきましょう。
質屋ではお客様から持ち込まれた品物を担保にし、品物の査定額(元金)をお客様に融資します。
このことを「質預かり」と呼びます。質預かりの期間は原則3ヵ月間。この期間内に「借りたお金+質料(品物の保管料)」を質屋に返済すれば、預けた品物が手元に戻ってきます。
質預かりの期間は、ローンやキャッシングの返済期間に似ていますが、質屋では借りたお金を期日までに返済する義務はありません。
ただし、期日を過ぎてお金が返済されないと、預かった品物の所有権は質屋のものとなります。これを「質流れ」と呼び、質流れした品物は、基本的に買い戻すことはできません。
お金の返済が遅れても、質屋がお客様に督促の電話をかけたり、書面で返済を促したりしないのは、こうした仕組みによるものです。
もちろん預かり期間内に借りたお金を用意できない方は、多くいらっしゃいます。
お金の返済が遅れるお客様を想定して、預かり期間の延長を申し出れば、それに応じた質料を支払うことで、質流れを防げる仕組みを質屋は設けています。
質料は、他の借金でいう利息に該当するものと考えると分かりやすいでしょう。
また、質屋はお客様から預かった品物を空調設備の整った質屋の倉庫に厳重に保管します。そのため、湿気や日焼け、キズなどで預けた品物が劣化する心配がありません。
元の品質でお客様の手元に戻ってるので、一度預けた品物を再び担保にして、お金に困ったときに繰り返し質屋を訪れる常連客もいるぐらいです。
一般的な借金やリサイクルショップでの買取と違い、質屋は返済期限に追われたり、大事な品物を手放したりする必要がないため、安心してお金を借りられるのです。
品物さえあれば当日中にお金を借りられる仕組みも、コロナ禍で質屋が脚光を浴びた理由といえます。
質屋では預けたい品物と運転免許書、マイナンバーカード、健康保険証などの本人確認ができる身分証明書を持っていけば、約10~15分でお金を借りることができます。
即日融資が可能な銀行のカードローンもあるものの、多くの銀行で申し込みから融資までの期間は早くても1週間程度。質屋のようにすぐにお金を借りることはできません。
また、質屋はブランド品や宝石、貴金属などのさまざまな品物の鑑定眼に優れています。アルバイト店員が商品の査定を行うリサイクルショップに持ち込むよりも、高額なお金を手にする可能性が高いでしょう。
銀行や消費者金融の審査に落ちた方でもお金を借りられるところも、質屋ならではの仕組みです。
質屋は品物を担保にし、その査定額が融資金となるため、他の金融機関の審査に該当するものがほとんどありません。
銀行や消費者金融、信販会社のように「返済能力」「他社借入状況」「信用情報」などの厳しい審査基準が、質屋にはありません。
強いていえば、質屋営業法で18歳未満の方との取引を禁じられているぐらいでしょう。言い換えれば、18歳以上であれば誰でもお金を借りられるのです。
そのおかげで他の金融機関では、お金を借りることが難しい以下のような方でも質屋であれば融資が受けられるのです。
また、質屋の取引履歴は、信用情報に残りません。質屋で返済が遅れたり、返済ができなかったりしても、他の金融機関での融資に影響しないところも質屋でお金を借りるメリットといえます。
ただし、18歳以上といっても高校生は不可とする質屋がほとんどで、20歳以上でないと利用できない店もあるので注意しましょう。
これまでに紹介した質屋の仕組みが、コロナ禍の影響で失業して定期収入が途絶えた方の生活費を調達するのに役立っています。
実際に今まで質屋を使ったことなかった方が、解雇や雇止めを機にご自宅にあるブランド品を質屋に預けて足りない生活費を補ったという話をよく伺います。
度重なる外出自粛要請で客足が激減し、休業せざるを得ない状態に陥り資金繰りに苦労する小売店の経営者が質屋を訪れるケースも増えています。
宝石店では在庫の宝石を、飲食店では業務用PCを担保にして、質屋で借りたお金を経費やテナントの支払いなどに活用しています。
審査の基準がないに等しい質屋は、融資をする方を選びません。
それに加えて当日中にまとまったお金を調達できるため、コロナで失業した方や売上が激減した中小企業の経営者の味方ともいえる存在なのです。
鎌倉時代から庶民に親しまれてきた質屋。
消費者金融やリサイクルショップなどの勢いに押されて、近年は歴史の表舞台から姿を消しつつありましたが、コロナを機に再び存在感を高めています。
コロナは経済活動や雇用問題だけでなく、物価上昇にも大きな影響を及ぼし、庶民の家計を圧迫しています。
質屋は生活に苦しむ庶民の味方として、これからも人々の暮らしに寄り添っていくことでしょう。
熊本の質屋 「質乃蔵」では、金やプラチナといった貴金属を専門に買取査定しています。もし、不要な指輪やネックレス、ピアスなどありましたら査定は無料ですので、是非ご利用ください。
質屋に関連するおすすめ記事をまとめています。ご参考ください。