質乃蔵(しちのくら)の児玉です。
独特のゴージャスな輝きを持つ金(GOLD)は、古代から人々が愛してやまない金属です。古代メソポタミアや古代エジプト、中国や日本などでも特別な力を持つとされ、装飾品や建築物などに用いられてきました。
ここでは、金の歴史について詳しくご紹介します。
目次
シュメール文明の歴史の中で金と密接な関係がありました。シュメール文明は、紀元前3500年ごろにチグリス川とユーフラテス川の間に位置するメソポタミアで栄えた文明。高度に発達していた文明として知られています。
シュメール人たちは優れた専門知識を操り、金の装飾品も多数作っていました。たとえば紀元前3000年紀半ばのものと言われている「ウル(Ur)の王墓」からは手の混んだ金細工が出土されており、当時の技術水準の高さを物語っています。
1924年から1932年にかけて行われた発掘では、金のカップや受け皿、金の頭飾りやブレスレット、ランプなどが多数発見されました。中でも圧巻は、一体の遺骸の頭を覆っていた黄金製の兜。金を内側から叩いて髪の毛が細かく掘り出された彫刻は、今見ても素晴らしい芸術品です。
ラピスラズリと金で作られた雄牛の頭で装飾されたハープや、ウル王の王妃プアビが使っていたとされる金をふんだんに使った髪飾りなども発見されており、ウル王の時代の栄華を垣間見ることができます。
古代エジプトの歴史の中で金と密接な関係がありました。紀元前3000年頃から始まった古代エジプトでも、数々の美しい金細工製品が作られていたことはよく知られています。古代エジプトにおいては太陽神ラーが信仰されており、金はラーの体の一部だと考えられていたからです。金は神聖な儀式に欠かせないものとして使用されてきました。
古代エジプト文明の中でも、有名な金製品と言えば「ツタンカーメン王の黄金のマスク」でしょう。
このマスクは紀元前1300年頃に作られたと言われており、1925年にツタンカーメンの王墓で発見されました。黄金のマスクは高さ54cm、重さは321.5トロイオンス(約10kg)で、ラピスラズリなどの半貴石で装飾が施されています。マスクの価値は300兆円とも言われており、ツタンカーメンの眠る棺にも110kgもの金が使われているのです。
ツタンカーメンの王墓はメソポタミアのウルの王墓と同様、盗賊による被害がなかったため、このような貴重な金製品も手つかずの状態ですべて発見されました。古代エジプトの遺跡からは、ツタンカーメン以外の王である「プスセンネス1世」と「アメンエムオペト王」の黄金のマスクが発掘されています。
中国の歴史の中で金と密接な関係がありました。古代中国文明も世界最古の文明のひとつ。多くの数の装飾品や芸術作品を残していますが、古代中国に作られた金製品の中で、日本の歴史と深いかかわりを持つものがあります。それは、「漢委奴国王(かんのわのなのこくおういん)」の印綬です。
この漢委奴国王印は純金製で、一辺2.3cm、重さ108gの印綬には蛇をかたどったつまみがあり、「漢委奴国王」の5文字が刻印。1784年に福岡県志賀島で発掘されました。現在は福岡市博物館に収蔵されています。
印綬は権力を表す物として皇帝から家臣に与えられるものでした。中国の古い資料である「後漢書東夷伝(ごかんじょとういでん)」には、紀元57年、後漢王朝の時代の初代皇帝 光武帝(こうぶてい)が、「倭の奴国(わのなのこく)」に印綬を授けたと記述されています。
なお、中国では印章以外にも、楚(そ)の時代(紀元前11世紀〜前223年)に金貨が製造されています。
時は下り、19世紀になるとアメリカのカリフォルニアでゴールドラッシュが起こります。きっかけは、1848年にエルドラド郡コロマ近くのアメリカ川で砂金が発見されたこと。このニュースはあっという間に全世界に広がり、アメリカ国内はもちろんのこと、海外からも30万人もの人が殺到しました。
ゴールドラッシュの初めの頃は、選鉱なべのようなシンプルな道具を使って川床の砂金を探す方法が取られていましたが、ゴールド熱は次第にエスカレートし、大掛かりな装置が使用されるようになります。
アメリカ地質調査所によれば、ゴールドラッシュで1848年から1852年にかけて採掘された金の量は1,200万オンス(370トン)、金額にして約8,130万ドルに上ると推測されているのです。なおこの金額は、現在のレートで円に換算すると933兆円となります。
日本のの歴史の中で金と密接な関係があります。日本はマルコ・ポーロによって「黄金の国ジパング」と名付けられたことからもわかるように、黄金を産出する国として古くから知られていました。
日本で金が確認されたことが文献に出てくるのは8世紀のこと。宮城県桶谷町付近で749年に金が発見されたという記述が「続日本記」に出てきます。同じ時期には東大寺の大仏が建立され、約150kgの黄金が大仏の金メッキに使われていますので、当時、金はすでに建築などの材料にも使われていたことがわかります。
金を使った歴史的建造物といえば金閣寺です。1224年に建立された西園寺を1397年に足利義満が譲り受け、権力を誇示するために改築で金箔を貼ったといわれています。建立当時の金の使用量は不明ですが、1986年から始まった改修では、約20kgの金箔が使用されました。金箔にかかった費用は、当時の金額で約7億4,000万円といわれています。
日本では各地から黄金が採掘されていましたが、その中でも特に有名なのは中尊寺のある平泉周辺。この辺りには金山が多く分布しており、奥州藤原氏の経済力を支え、発展させる原動力となっていました。中尊寺の金色堂には金がたくさん使われていますが、マルコ・ポーロが日本を「黄金の国」と評したのは、この金色堂がきっかけだったともいわれています。
なお、日本で発見された金山の中で、最も金の産出量が多かったのが佐渡金山です。16世紀に発見されて以来、官営化され、1898年に金が枯渇して閉山されるまでの300年間で、金78t(約3,565億円分)が産出されました。
金には他の金属にはない独特の輝きがあり、しかも希少性が高いこともあって、古代から不思議な力のある金属として宗教儀式や国の祭事などに珍重されてきました。現代においても金が人々を魅了する金属であることは間違いありません。
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